膨らむひとりごと

日々の散文

祈るおじさんたち

「祈り」
祈ることは人間にとって非常に原始的で、どんなに科学技術が発展しても無くせないものなのかもしれません。
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 氏神様の神社へ初詣に行きました。小さいながらも地元に根付いた歴史のある神社なので、今年も賑わっています。お参りの列に並んで順番が来るのを待っている間に、お祓いを待つおじさん集団を見つけました。何をするでもなく、手持ち無沙汰でブラブラと待つおじさんたち。時間になったのか、ぞろぞろ本殿の中に入っていくのが見えます。年齢は大体50~70歳前後の感じ。十数人みんな黒のスーツを着て、同じような背格好なのでぱっと見で「どこかの会社のおじさん集団」ということしか予想できません。準備が整ったのか、宮司さんが来てお祓いが始まりました。みんな律儀に座って頭を下げている様子が伺えます。なんだかおもしろいなと思いました。これはわたしの勝手な想像ですが、あのおじさんたちはお祓いが始まる前までは、神様の「か」の字もあまり信じていないような雰囲気でした。まるで喫煙所で暇潰しをしているような。「まあ幸先良くしたいから、今年も厄払いしますか〜」みたいな雰囲気です。でもお祓いが始まると何やら粛々とした空気で、みんな揃ってお祓いを受け、祈りを捧げているんですね。もしかすると会社の年始行事か何かかもしれませんが、彼らにとって「神に祈る」って一体どう捉えているのか聞いてみたかったし、そのちぐはぐ感になんとも言えぬものを感じたのです。

 

祈りの原点

 神社やお寺に行き、人は何を祈るのでしょうか。日頃の感謝や願い事などが多いかもしれません。日々、当たり前に祈ることが浸透しています。祈りを捧げることは絶対にどの様な時代・国・民族であっても普遍的に行われてきました。そしてその祈りの始まりは人類が誕生し、ネアンデールタール人とクロマニヨン人(現生人類の祖先)にまで遡ります。

まずネアンデールタール人は文字や、絵などを使った様子がなかったことからそれほどまでの文化を持っていなかったとされています。そして、より高度な知性を持ったクロマニヨン人の出現によりやがて淘汰されていきます。ちなみにクロマニヨン人は壁画を描いたり、高度な石器を作ることができたため、コミュニケーション能力や生存能力が高まったそうです。また、およそ5万年〜3万年前にかけて【文化のビックバン】という状況が出現しました。それは言葉通り、なんらかのきっかけで文化的な目覚めが起き、その後、彼らの間に芸術や宗教が誕生し、心が進化したのだと。3〜4万年前ごろからわたしたちの先祖は洞窟に動物などの絵を描いたり、彫像を作ったりして宗教的な儀礼、すなわち「祈り」という行為をする様になったとされています。

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有名なスペインアルタミラの洞窟画 約2万年前

祈りから見えるもの

 文化人類学を学んでみると、世界中それぞれの文化の中でその祈りがどんな役割を果たすのか、そこに関わる人々がどのように考え生きているのかがとても興味深く見えてきます。天変地異に関することはもちろん、作物の豊穣や狩猟の祈願、安産祈願、災や厄払いなど、儀礼の形は様々ですが祈る内容は万国共通のものが多い様です。普段は神と仏の違いもさほど気にしない八百万の神精神が良くも悪くも働く日本人ですが、お祭りや年末年始、それからクリスマス(非キリスト教が多いのに)の時には少しばかりは何か「そうした存在」のことを考えたり、頼みにすることが多くなるのかもしれません。科学的根拠や証拠がないと信用できない、とこんなに声高に言われる時代なのに不思議です(笑)でも、だからこそ理屈や理由のないものに縋りたい、祈りたいという気持ちがより大きくなるのかもしれないなと思いました。例え、形ばかりでも。

あの神社にいたおじさん集団も普段の生活では見えないものへ祈るより、現実的な給料の増額を願っている方が大きいかもしれないけれど(完全な偏見ですが)、それでも少しばかり「もしかしたら」という見えないものへの祈ることで、その人の心を豊かにしたり、前向きにすることができるのならば、それこそが祈ることの意義と言えるのかもしれないな、と思いました。おじさんたちに幸あれ。ちなみにわたしは本厄ですが、おみくじ大吉だったので幸先良さげです。