膨らむひとりごと

日々の散文

ミクロな呼吸 マクロな呼吸

いま いま いま いま

 

さんぽしていろんな音が聴こえると

音って究極の時間だよなあ
本当に音を聴くっていうのはいまこの瞬間にいようという意思だなとこの前思った。

 

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「今この瞬間 今ここ」

はもう使い古されすぎていることばに感じる。どうやったらそれに変わるもっとピッタリくることばや説明ができるかなあと考える。でも今のところ良いことばがまだでてこない。

 

息を吸って吐く それを毎瞬丁寧にする。

意識しても、いなくてもわたしたちは、生き物はみんな息をする。

息を吸って吐くことは当たり前になっているけれど、宇宙から地球に与えられた最強最高の力じゃないかなとおもう。

なぜなら、その中には命も時間も自由も幸せもなにもかもつまってると感じるから。

でも地球では何の意識もせずとも息を吸って吐いている、改めて本当にすごいことなのに。人間だけじゃなくあらゆる生き物が息を吸って吐いている。それをひとつずつ観察して受け取っていくととてつもないエネルギーがあるなあと何度でもそれぞれの存在自体に言い難い感動が生まれる。

 

海に行くと海も呼吸をしているし

その辺の住宅街にある草も、道を歩いているアリもああ呼吸と共にあるなあ

わたしたちは呼吸をお互いに生成しあっているなあと。

別に「生物多様性」などという改まった言葉を用いなくても十二分に実感することができる。

 

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息を吸って吐くことは今この瞬間に存在しつづける

常に、呼吸には今しかない。

過去も未来もない。思考も概念もない。

余計な重たさを持たずに、自我の無駄な精神の介入をせずに、頭のおしゃべりをやめて今に全力でいられるだろうか。

今この瞬間、息を吸って吐くことでじぶんの命のエネルギーをいつだって感じていられるだろうか。

 

それが今のエネルギーの密度になり、その空間や時間や「私」ひいては「私たち」という存在をも飽和して伸縮自在に流れ広がっていくんじゃないか。

 

わたしにとって「時間」は最大かつ永遠の疑問であり、地球にいることを知らしめ続けるものなのでもう、ずっとずっとずっとずーっと色々な角度から時間を探り続けている。それでもじぶんの中でしっくりくるものには中々たどり着けていない。 でも私たちが認識する時間は、本当はおもっている時間とは別物なんじゃないだろうかと最近つくづく思うことが増えた。

 

けれど時間を概念やそもそもの大きな宇宙や地球の星の流れの中のイメージとしてではなく(それはそれとして好きでおもしろい)

そこに連続して影響しあいながら、この個体としてのわたしの中に起こる時間のミクロスケールはいまこの瞬間息を吸って吐くこととすると。

もっといえば吸う中でも吐く中でも更に細かく様々な感覚が起こることも全て含めてその場所、その自分、あらゆる内外界の対象物が関連し合ってそこに存在し続け、連続しているように思えていることがクリアに感じられるといまこの瞬間そのものの明晰さや深度がものすごく体感として豊かに拡がるようになる。

 

いつもそうありたいけど、社会に取り込まれかけると、そうあれない時もある。でも、とにかく息を吸って吐くこと以上に大切なことは本当になんにもないし、命も時間も自由もなにもかもつまってると絶対的にわたしはおもっている。

 

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息を吸って吐く

いきをすってはく

こう書くいまこの瞬間にも呼吸を当たり前にし続けて、空間はわたしをそこに連続させる。

わたしのミクロな時間の流れと星や宇宙のマクロな流れは違うように見えてその質は同じじゃないかな、なんて思う。

 

今この瞬間、で居続けると

体の中に無敵で無限だなあと何かが流れて満ちていく。

 

#過去投稿に時間と呼吸のことはたくさん書いているので見てください。