膨らむひとりごと

日々の散文

2億5千万回

昨日ふと眠る前に思った

わたしは人生で何回呼吸しているんだろう?と。

計算してみた

 

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約2億5千万回くらい。本当はもっと多いかもしれないし少ないかもしれないけど、それはどっちでもいい。この数字を見て多いとも、少ないとも、ふつう、とも思わなかった。ただ、「ほ〜そうなんだ」というのが感想。こういうなんの意味が無さすぎることが最高なのだ。

 

そして2億5千万の呼吸のイメージしてみた。過去を思い出す訳ではない。単純になんかふわっと浮いてくる感覚だ。それは星だった。星というか、暗い宇宙空間に光ったり、あまり光らなかったりするいろんな色や明るさの星粒、点々。呼吸は星だったのだなあ、だから空気が光ってるところと、そうじゃないところがあるんだ…!と思いながら少しずつ、うとうとした。

 

完全な眠りにつくか、そうでないか。いつもその瞬間がすごく好き。意識が上がったり下がったり縮まったり、拡がったりする感じがあって、急に脳みそがぎゅっと掴まれる様な瞬間もあればてろ〜〜〜んっと溶けて伸びていく感じもあったりその時で様々。そして脈絡もなくいろんなイメージや言葉が浮かんだり、言葉や音が聞こえたりするのがおもしろい。この感覚は眠りにつくかどうかの時にしかほぼほぼ味わえない。

 

毎朝晩、それから思いついた時に瞑想をする。わたしがすきな瞑想は集中するのではなく、目を閉じても、開いたままでもやるすべてを観察をする瞑想。専門用語だとヴィパッサナー瞑想という。自分の内側と外側が緊縮、弛緩する。あらゆる音が大きくなったり小さくなったり。この瞑想の時に得られる感覚もすきだ。

 

離人症を中学生の時に発症した。要は現実世界から浮いて、遠くなる様に感じて、リアリティが亡くなっていく精神や脳のバグなのだ。中学生当時は辛かったし、今でもたまに出てきたり消えたりするのだが近年は俯瞰をしている自分自身を俯瞰して、行き来して観察できて比較的たのしめる様になった。これはバグではなくて実は宇宙に帰る作業なだけなんじゃないかなと思う。それはなんとなく宇宙空間、というか上方向にみょ〜〜んと伸ばされ、ひっぱられる感じだからかな。とってもふしぎで奇妙で気持ち悪い時もあるけど、まあなんだか乗りこなせるようになった。

 

いまこの場所にじぶんが本当に存在しているのか?どう存在しているのか?はたまたこの存在している場所がどこなのか?生きている感覚はどれなのか?どれもなのか?あなたは誰なのか?わたしは誰なのか?誰でもないのか?

ちっちゃい頃から引き継がれる問い。

そしてこれらが呼吸も、眠る前も、瞑想も、離人症も全てに通じる。

 

その答えは永遠にわからないし、わからなくていいし、仮定しかない。

しかし一生好奇心の源であり、問い続け、感じ続け、思考し続けていたい事なのだ。生きるというのは結局それしかないのだ。何者になっても、何かを成し得ても生きるということは何の意味もないのだ。だからこそ呼吸は星で、宇宙の中に生きているだけなのだ。と思った。

 

すべては無明なのだ🌍これが1番好き

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