今日こんなことを思いました。
「一々傷ついてたらやってらんねえ!」と往々にして人間は言い、そうではない=強くなった、と思っている節があるけどそれは鈍くなっているだけのように思う。それに正確には傷つく、ではなく感覚が波立つのを感じることに耐えられないから、鈍くなる事で日常の摩擦が減ったように感じさせているのでは
— komainu (@komainu_8888) 2024年3月22日
きっと強くなりたいとも、鈍くなりたいとも多くの人は願っていないだろう。
でも特別にこれ、といった意思を持たなくても人間はあらゆる場面で少しずつ環境や他者から影響を受けて自らも気づかないうちに変わっていく。でもその変わっていく瞬間そのものを逃している様な気がする。変わら「される」と、変わって「しまう」の中間にある、自分と世界の間のぬかるみの間をズルズルと日々の「何か」に忙殺されていくのだ。それが強さや鈍さという言葉で加工されてあたかも真っ当に生きているように錯覚していく。
感覚が波立つことに耐えられないのは、波の上にしかいないからだ。
波のもっともっと深い部分に、奥へにいくと、そこはとても静か。
静かな中にとても小さな音で何かがきこえる。何かがみえる。
それをよーく よーく、大切に 大切に、ひとつ ひとつ拾っていくんだよ。
本当はいつだってじぶんがそこにいることを思い出すんだよ。
ってわたしの中のなぞの宇宙人が言ってました。
おわり。