膨らむひとりごと

日々の散文

138億、46億、30

この前

「もうそろそろ30になるんだからいい加減大人になって…○%×$☆♭#▲!※」

と言われた(途中から抜けてたのでなんだったかわすれちゃった)

 

その時、頭のなかで

地球は46億歳だからまだまだわたしはベイビーだなあ👶とおもっていた。

 

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↑古代インドの宇宙観おもしろくてすき

 

全然違う話

 

大好きな友達はわたしより実年齢は22歳も上だ。でも、彼女に年齢差を感じたことってこれっぽっちもない。どんな事でもぜんぶ感覚で話せる。環境やこれまでの経験は全然ちがうのに。ジェネレーションギャップ、なにそれ?だ。笑

良い意味で大人とも子供ともおもったことがない。彼女はただ彼女らしくてとても素敵だと思ってやまないだけ。

 

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また全然違う話

 

遠くに旅に出た日と近場で過ごした日

振り返ると、同じ時間数を過ごしているのに遠出した方がずいぶん昔の事に感じるのはわたしだけだろうか。

物理的な時間の流れには何も変わりがないはずなのに、体感として遠い場所になればなるほど時間も昔になって、長くかんじる。あれ、ふしぎだよなあ。

 

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全然違う話を挙げたけどわたしのあたまの中ではなんとなくつながっていて

 

つまり、時間の感覚や体感の仕方は本当は24時間365日というような均一さではなく、それはあくまで指標であり

ほんとうはバラバラで、しかも場所によって人によって常に変化しているものじゃないか?と最近よく考える。

 

曲つくってるときに半日が一瞬になるけど、他にもライブしたり、友達と楽しい時間過ごす、という様なたのしいことをしてる時って本当にあっという間。

これは多くの人が体感してるのではなかろうか。

 

そしてつまらない授業を聞いたり、やりたくない仕事をしたり、合わない人との無言の間とか…え、まだ10分しか経ってないの…みたいなこともあるでしょう。


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このなんとなく体感してる「長いなあ、短いなあ」は実はなんとなくではなくて本当はめちゃくちゃ生きてるその人の実体に繋がってるんではなかろうかとおもう。

 

こころからたのしめた「あっという間」という体感にはとてつもない時間を越えたパワーみたいなのものがたくさん織り交ぜられて密度がぎゅうぎゅうキラキラになっているんだろうなあ。

 

逆にどんなに時間をかけても本望じゃないものって、スカスカで、長くて、退屈な感覚が続いて何かが奪われているような気にさえなる。パサパサ。

 

 

ということは、こころからたのしんであっという間!という人生を多く過ごしてる人は生物学的年齢といったものを超えた計り知れないパワーや魅力がつまっていて、計算上の年齢とは比例しない「なにか」を放っているのだね。まあ、もう言わずもがな逆もしかり。

 

ということは冒頭に出てきた年齢という「数」によってされる線引きなんて本当は根拠も意味もないことだなあとつくづく思います。

 

 

大体、24時間365日の文化が出来たのも歴史からいえばわりと最近なわけで

日本だと干支で時間が分けられてたし、マヤは1年の日数がちがったもの。

それをぜんぶ統一して均一化してるのはとても不自然といったら不自然なとこなんだよなあ。

 

 

ちなみにどうせ時間を数で比較するならば

宇宙が出来てから138億年(仮)そして、地球は46億年。言うたらまだまだこどもだよね。

でわたしらにんげんはたかだか20だか30だかの間若さを競い、80が平均だの、100はすごいだの勝手にやっております。笑

 

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どうせ比べるなら138億年と比べようぜ

ベイビーどころの話じゃないわよ!

 

 

つづく