成長することを求められたり、促されたり、成長しよう!
みたいなことを言われるのが嫌いだ。つくづく、嫌いだ。
おまえが一人で勝手に成長してろよ、と思う笑(口が悪くてごめんなさいオホホ)
以下は超私見です。
なぜならまずそういうことを言う人の多くは「成長することが目的であり、良いことだ」と疑わないからだ。これはわたしが小学生時代から思い続けてきた疑問である。学校というシステムで、先生と生徒の関係上当たり前だといえばそれまでだが、教師は皆揃って成長することをしつこくしつこく勧めてくる、半ば強制的に。まあそれがお仕事なのだけどね。。。
わたしは子どもながらに、なぜこんなにじぶんのことも相手のこともよく知らない、たかだか会って数ヶ月の人間に、さも全て知り得たかのように一々ああだこうだ言われるんだ?と思っていた。しかも、まるで全てが正しいことだと言わんばかりに。どう考えてもおかしいだろ笑(反抗期以前より)
そしてどうしてこの人達は正しいことが正しいとわかるのか、どうして悪いことが悪いと言い切れるのか?その割にそう言う人のふとした瞬間の人間性を見ると大して出来た人間でも楽しそうで魅力がある訳でもないんだよな(ボロクソwww)
その上で「もっともっと」「早く」「大きく」「成長」「良くなるように」「人の為に」みたいなことを言われてもなーーーーーーーーーーーーーーーんにも響かないよね。まあ元々その類の向上心はないからアレだけど。
そして最近気づいたのは、わたしだって誰に対しても話を聞かないわけではないのだ。申し訳ないけど話を聞く相手、というか自然と聞きたくなる相手を選んでいる。人を選んで何様かと言われたらわたし様ですよ、と申し開きますが。。
その聞きたくなる人かどうかは・・・その人自身が本当にたのしそうに生きててやりたいことやり尽くして自然体でいるかどうか、なのだ。
こういう人ってむしろ他人に必要以上に興味がないのだ。自分の人生に集中してるし、良い意味で人の人生を切り離してるから問われなければ特に言及してこない。ただ、本当にこちらが問いかけたりすれば、必要なタイミングでポロポロっとなんの押し付けもなく、自ら導いた言葉で、あくまでも「じぶんはこんな風に考えたり、生きている」と伝えてくれる。
最高にかっこいいし、説得力があるし、その人自身の生き方が素敵だからとても魅力的。素直にもっと色んなことを聞きたいなと思うよね。今までも何人か出会ってるけど、皆総じて言えるのは本当に強がらない、偉ぶらない、自然体。あとじぶんに嘘がない人だ。
小〜高校時代の先生や、わたしが嫌いなタイプの成長促進クソ野郎( )みたいな人たちはこの逆で、いかに自分が正しいか、知っているか、偉いか、武勇伝あるか。みたいなのがぷわわ〜んと匂ってくるから即無理だなとシャッターが降りる。
↑あとは社長とか士業の人に多い傾向がある(銀座談)
結局成長というのは、他人に強制されなくても勝手にするものだと思っている。
やりたいことは勝手にやるし、頭も体もそれなりに自分で動くように努めるじゃないか。ただ、それは目的が「成長」ではなくて「〇〇がたのしいからもっと出来る様になりたい」とか「〇〇をしてたらあっという間に時間が経つからなんだか知らぬ間に上手くなってた」とかそういうことが本質なのだと思う。そこを成長というポーズで表面的にリカバーしても結局根本のエネルギーみたいなのは全然違うじゃん、と。
なので他人が成長を促して乗っかっても、それが意味のある行為なのかわたしはいまだに疑問なのである。
サバンナのライオンの子どもだって狩りをしろ!!と成長を促されることはないもんね。ただ、生存していく上で自らが生き残るために親の狩を見て下手くそながら何度も真似て成長していく。でもそこに善悪とか評価なんてないし、自ら成長できる方が生き残れる確率が上がり、そうでなければ飢え死ぬか一生おこぼれを貰い続けるか。そういう社会なんだよなあと動物を見て考えたりする。
脱線した。
いつものでまとめ。