好きなモノはあっても好きな「世界」はあるだろうか。
最近ふと好きな世界の共通点を見つけた。
それはもにゃっとして彼方と此方の境界がわからない、
あるのか?ないのか?そもそもここはなんだ?わたしは誰だ?
と悶々とするようなそういう世界を浮遊してるようでありつつ、混沌を闊歩していくのがすきだ。なんてわかりづらい説明だろう。
例えば
人間ー犬
現実ー夢
自分ー他者
の様な関係の「違い」や「差」の境界線を普段は意識して生きている。
でも本当はその中に、見かけの肉体や存在は別であってもそれぞれの内面に連続しているものがある。
※詳細はアニミズムの記事で
メビウスの輪を使って先生がこういった世界の連続性を講義してくれた。
これ、本当に不思議なもので輪っかなのに裏と表が一つづきなのだ。
裏から始まったと思ったら表にいて
表にいたと思ったら裏にいる。(図形作ったらわかりやすかった)
夢だと思ったら現実にいて
現実だと思ったら夢にいる
生きていることも死んでいることもひと続き。
木で生きていてもわたしであり、わたしとして生きても木である。
ちょっと飛躍してしまったけれど
どこからの境界もなくてで、どちらがどちらともわからず、不明瞭なまま生身のじぶんの生活を進んでいくしかない感じがとてももどかしくてすき。
夢とか現実とか関係なくて全部がボワ〜っと溢れて、そこの角を曲がったらあっちの世界に行って、そしてまた帰ってくる様な。
そう考えるとすごく辻褄があって
わたしよくあちこちにいってるなあ〜。。
創作の中にある世界は正にその真骨頂を描いているものがたくさんあってだいすきだ。
幻想文学や詩、SFファンタジーに秘められている世界というと伝わりやすいのだろうか。もちろんお芝居の脚本もそう。
でもオカルトに傾かない。近年の形骸化されたスピリチュアルの枠内で語らない。それをやることはこういった世界を軽んじて乖離していくことにもなるから。
どこからが現実でどこからが非現実かなんて目盛りが存在しない
その中で浮遊して闊歩していく世界がすき。
と思ったら過去記事にたくさん書いているので答え合わせ
というか全部繋がっていく最近なのであった。