膨らむひとりごと

日々の散文

宇宙の綿

 年末年始になるとよく今年の振り返りや来年の目標について決めている方を多く見ます。小学生くらいから学校でそういうのやらされたような記憶。苦手だったので適当に当たり障りのないことを書いてました(笑)皆何かを達成したり、未来への期待と努力を目標に込めたり、それだけですごいなと心底思っていました。その尊敬は今も変わらず、目標や達成したことで自分に対してマルを付けられるなら、それはとても素晴らしいです。そういう人は日々コツコツと目標に向かい努力することができている。そういう人間だったらどんな人生だったのかな?とふと考える時もあります。

でも「目標や目的を持ち、反省をしないと充実した人生が送れない」というのは詭弁だとやっぱりおもいます。これだけが正論ではないのに、最もらしくしかけてくるのがこの資本主義社会です。もっと色んな地域の先住民や、他生物の生きている時間の豊かさや美しさから学んだほうがいいところもたくさんあります、現代人。

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わたしは年末のまとめも目標つくりもしませんし、出来ません。それをしたところで「今日、今、思いついた瞬間のこと」にしかならず、あまり意味を成さないし、単純にじぶんの体質に合わないからです。いろんな人がいろんなデータを持ち寄って“この方法だと上手くいく”“目標を作ると成功しやすい”等々世の中は方法論で溢れ返ってますが、それはその人にとって合っているだけで、じぶんにとって合っているかどうかは別問題なんですよね。

色々これまで試してきたところ、気分よく、過ごしやすく、且つぴぴぴという直感がはっきりと受け取りやすい状態の自分でいられるには何よりも決め事を減らすことでしたが、多分世の中とは逆側の発想みたいなので書いてみます。

 

その瞬間にどう感じてるか、どうしたいか決める

まあほぼこれしかないです。昔からよく旅にも行きますが、一人の場合は特に何も決めません。宿も当日か前日に決めます。どこに行くかもその時次第なので失敗も全然あります。でもそれでいいんです。なんか、わかんないけど「あ、今これ!」と感じた事にじぶんが気づいているのに、決め事がある場合、その沸いた素直な感覚を無視することにもなりかねないからです。それはすごく気持ち悪くて耐えられません。人生はスタンプラリーでも双六でもないし、わたしはそもそも地図の正規ルートを最初から見てないし、サイコロも持っていないのです。なので「今」しかありませんし、「今」行く方向も場所も決めたいんです。それで死んでも、おもしろければ行き当たりばったり万歳です!!

 

目標がない方が生き生きする

目標や目的がないと不安になる人にはおすすめしません。わたしはそれらがあると窒息しそうなくらい不安になるので決めません。基本3日以上先の予定は入れたくありません。社会不適合者なのは生まれつきなので、今更気にすることもありません。という前提の元、わたしは目標や目的を決めないことこそ人生サバイブ感があって大好きです。いつ、どこで、どんな可能性があるかわからないじゃないですか。それってすごい未知で楽しいなと思います。今までもそういう予想もしないことがたくさんありました。だから逆に何か一つ決めるということは、少なからずその決めたことに執着したり、達成しようとしたり、その為に制限がかかり始めます。それが辛いんです。それに、目標や目的等の決め事が多いとその決めた事そのものより、それに付随した別の部分で制限が生まれるのもあって好きじゃないです。だからこそなるべく目標や目的をなくしていると、いつもじぶんの心身が軽く感じられて、明るくいられ、いろんな未知の出来事に遭遇する機会が増える気がするし、自然と逞しく動じなくなります。

 

目標を持った人と比較しない

目標を持たない方が合った生き方なのに、目標を持って努力している人を見るとやっぱりどこかで「うう…」と劣等感が刺激されたこともあります。尊敬と共に、そうは出来ないじぶんへのダメ出しが始まりそうになりますが、そんな時は酒を飲んで寝ます。嘘です。そういう人になりたいのか?とじぶんに問います。別に全然なりたくはありません。単純に真逆だからうらやましく感じるだけなんです。わたしは何かを成し得たいとか、誰かに勝ちたいとか、たくさんの人脈やお金や物を持つことには興味がありません。強いていうなら、地球上の未知やなぜ?を死ぬまで解明する好奇心と探究心を持ってたのしくいられればそれ以上はないです。なので、どこの誰が何者になろうが、失敗しようが成功しようがそれはわたしにとっては全く何も関係ないことなので、好きに努力したり、好きに目標を立てて頑張ってくれたらなあと思います。

 

今に全集中しろよ

結論これに尽きます。大々的な振り返りも、目標も立てられませんが、その代わりに毎瞬、毎日ものすごく「今」にフォーカスしてます。これは自信を持って言えます。当たり前であれですが、今しかないわけです。今決めたことに対してかなり実直です。それがうまく毎日続けば継続なり、何かの形に成ることもあります。ですが、どんなに大きな目標も、今を無碍にして得られるものなんて無いし、仮に得られたとしてもそんなのかりそめだと思っています。砂上の楼閣です。必要な時本当に「今これ」がはっきりじぶんで掴める状態で、そこに無駄な作為や損得勘定がなく、ちゃんと自分自身に対して誠実に選択し実行できていれば、それで例え失敗した様に思えてもいいじゃん!と。そして、今だ!これだ!とぴぴぴが来たら迷うことなく恐れず飛ぶのです。その瞬間はものすごく早いし軽いなと我ながらよく思います。

 

今年は大きな「今だ、これだ!」という目標を決断し、珍しく努力もしましたが、「今はなんか違うな」という理由でやめました。決めたことをやめることも勇気がいります。誰かを巻き込んだり、大々的に言っていたりすれば尚更でしょう。違和感を無かった事にしてやり通した方が得かもしれません。でも、過去のわたしが感じたことと、今現在のわたしが感じることは違うのです。たまたま同じ気持ちが続くこともあります。でも過去と今を意図的に一致させようとするとじぶんの中で不和が生じておかしくなります。なので、現実の風当たりが強くても、自分の違和感にはいつだって絶対に正直である必要があります。

わたしには常々今しかありません。暦が変わろうが、新年だろうが、縁起を考えようが、占いも厄年の吉凶も関係ないのです。その瞬間ぴ!っと開いたら、それこそが変化で吉日なんです。

 

宇宙が誕生して138億年。そして地球は46億年。人間が地球に生まれたのなんてつい最近です。いつもそれがじぶんの根底にあります。だから、適当でいいんだとか、人間なんてカスだとかそういう事ではなく、人間がこうだ、と決めたり知っていることはほんのわずかで、それさえ仮定でしかなく、ほんとうのことを誰も確かめることができません。だからこそ、この世界に溢れる煩わしさに自ら入るのではなく、ぽーんと宇宙の綿のようになって生きていられたらいいなと思っています。