悲観的な出発点から物事を考えていてたのしいだろうか?
わたしは全然たのしくないので、そういうのはずいぶん前からやめた。
もしかしたら〇〇になるかもしれないから□□をやろう
〇〇よりマシかもしれないから△△にしておこう
××さえあればきっとうまくいくはず…
リスクマネジメントや保険という言葉としても言い換えられる。
まあそれが実際必要なタイミングもあるだろう(火災保険に最近入りまちた笑)
じゃなくて
◎◎がしたい!!やりたいんじゃーーーー!!
だけだよ。
日常生活で何かがある度にこの悲観スタートの思考で生きてるのなんて
まじでクッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッソつまんないから早いとこやめ、と個人的には思っている。
石橋叩いて渡るのが全面的に悪い訳じゃない。
ただ毎度毎度叩いているうちに渡ることすら最初から諦めてたり、不安に追いやられて毎回命綱に大金払ったり、そうして気づいたら気軽に前に進めなくなる重石を自ら付けているのではないかと感じることが多い。
どんなに心配したって不安になったって、やるときゃやってみないと何事もわからない。やってみてから初めてその時にいろんな展開が起こるわけで、最初から決まっていることは何もない。勝手にじぶんが決めているだけだ。
でも、どうせ勝手に自分で決めるなら「こうなったらたのしいな!こうなったらおもしろいな!」の方が単純に生きててたのしくない?マイナススタートから動くのとは全然違うと身をもって体験してきたので自信を持ってそう言いたい。
多くの場合、現実世界の住人たちは
「もしかしたら〇〇になるかもしれないから□□の方が安全だよ」
「〇〇よりマシかもしれないから△△にしておきなさい」
「××さえすれば上手くいくから」
という安全・安心神話を日々刷り込んでは、事ある毎に人の不安や心配を膨らませてあちら側に引き込むことが得意だ。更に生まれたばかりの「生きるきらきらの芽」すら萎ませてしまうので要注意。ほんとだよ。
彼らはとても最もらしく、正しいこととして、心配そうな顔をして、あなたの幸せのために…という枕詞をつけて伝えてくる。
こういった時のかわし方💩
①聞いているフリをしつつ、頭の中ではたのしいことがたのしく展開している想像をする
②「でもそれって、あなたの世界の中の話ですよね?」と頭の中でツッコミを入れる(notひろゆきwww
③いっぺん最強最悪の展開を考えまくってマントルまで落ちにいく、そうすると腹が括れて逆に浮上スイッチが入る
嫌な展開なんて考えようと思ったらいくらでも考えられるのだ。
特にわたしは自称想像力豊かな人間なので(笑)良いことも嫌なこともとてもリアルに想像する。
で、自分的に気に入ってるやり方はそういう想像でわざとMAX嫌なことを浮かべてから
「しかし…思いもよらぬ展開が!!」ってじぶんでナレーションを入れる笑
そこから「このことがあったおかげで〇〇に出会い、□□や××に繋がっていったのだ!」とか更にたのしくなる方に盛り上げていく笑
慣れてるとこの思考とかイメージが当たり前になっているので何言われてもされても自然と「まあ、結局わたしはたのしく生きちゃうのよ😆」と無敵モードになってるwww
(※これは決して相手を落としたり裁く為ではなくて、あくまでじぶんがたのしくいる為なので悪しからず)
そしておもしろいことに
こういう風に生きてると、本当にその通りなんだかんだたのしくおもしろく生きれることになり(体感中)結果的にどんどん自由になっていく🤣
そして何より想像を超えたおもしろい展開がどんどん起こる!!
現在更に強化中。
想像をしない未知な事こそがわたしは喜びなので、それを求めるなら想像の範囲内の良いとか悪いなんて誰に決めてもらうこともなく、本当はじぶん自身でも決められるものではない。
何にもわからないということは何だってありなのだ。そういうのが絶対たのしい。
地球たのしんで生きるポイントかなとおもう。
いつからだって、なんだってつくれるのだ。