膨らむひとりごと

日々の散文

研究家

 今朝ふとテレビを見ていたら、情報番組のコーナーで料理研究家の方がレシピを紹介していました。その時にふと思ったのですが、「料理研究家」って、シェフじゃないんですよね。パティシエでもない。研究家なので、料理人ともまた少し違ったニュアンスです。有名どころだと平野レミさんとか栗原はるみさんとかでしょうか。まあ、平野さんは「平野レミ」というジャンルを確立していますが、そもそもあの方はシャンソン歌手ですね(笑)

 話を元に戻して、料理研究家

なんか、いいなあと思いました。シェフやパティシエでもない、料理の鉄人でもないけど、料理が好きで、美味しいものを作ったり、食べたり、ふるまったりして研究している人。そこには資格や年齢、性別、経歴の有無も関係ありません。端的に言えば料理好き、で成り立っています。一大ジャンルとして今はもう確固たる地位になっていますが、「料理研究家」という言葉が生まれた当初はスキマ産業だったんじゃないかなあと思いました。この料理研究家に値するポジションが他ジャンルにあるかと思いきや、まだまだ少ないし取り上げられることもあまりないようです。

例えば、小説研究家なんてあまり耳にしたことがありません。文学研究家はいますが、学術的な研究だと、大学や公的機関での専門職、研究者だったりすることが多いです。「好きが高じて個人で勝手に研究やってます!それが社会でも喜ばれてます!」の極みが料理研究家だとしたら、他ジャンルでもそういうポジションがもっと台頭してきてもいいのになと思うのです。

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 わたしは去年からとある大学で新たに文化人類学を学びだし、フィールドワークや研究会などで大学の教授や専門の研究家、院生の方などとお話しさせてもらう機会が続いています。アカデミックな場で学び、様々な経験をしている方の知見や思想は知らないことも多く、本当に勉強になることが多いです。ただ、わたし自身が研究職や学位取得そのものを目的にしている訳ではないので、そういった専門的な知見を自分なりに噛み砕いた時に、そこで感じたことや得たことをどうしたら一般に表現することができるか、共有できるのかを考える場面が増えました。

一見難しく見聞きすることも、ゆっくりほどいていけば理解する事も苦ではありません。

本来はおもしろく、不思議な、自分の身近に繋がることを様々な視点から展開させたり、生きているこの現実の解像度をグッとあげることができる物事は知らないだけで、世界にはたくさんある。

しかし、多くの人は現代の日常に忙殺され、気づいたらルーティンワークで過ごす様な生活形態では、一元的な価値観や視点に留まってしまうことが多いのは言うまでもなく、限られた“現実らしきもの”に自らを閉じ込めて生きていることそのものにすら気づけなくなっているのが現状のようです。

地球に生きているのは日本人だけではありません。ましてや人間だけでもありません。長い歴史や文化は個だけでなく、集う中で編み上げられ、そこには自然や他の生物が絡まって織りなされています。こうして文章にしてしまうと、当たり前のように読み取れるかもしれませんが、これを本当に生きた感覚として持っている人がどれだけいるのでしょうか。わかる人にだけわかればいい、仕方がないのかもしれない、と思うこともあります。ただ、興味や関心が少しでもある、好奇心が少しでも向いている様な人のきっかけを何か開けるようになりたいな、と知れば知るほど思わずにはいられないのです。

 

 そこで、「料理研究家」というスタンスはとても学ぶべき点が多いです。専門家に敬意を払いつつ学び、自身がプロの視点と一般の視点を組み入れ、独自の路線で研究を展開し、うまく社会に橋渡ししているように見えます。今は時短テクや簡単料理等々のそれぞれに特化されたジャンルがありますが、それも各々の大切にしたいことや、「お!」と思った発見や実験の繰り返しを強みに生かしている訳ですね。

 

〇〇研究家、あなただったら何がハマるでしょうか。なんでもいいと思うんです。教育課程がある訳でもないし、免状をもらう必要をありません。別に肩書きはいらないですが、単純に自分がすきで独創的な研究っておもしろくてたのしいと思うんですよね。ただ、本当に研究家としてやるなら本気で実直な研究は必要ですが。

 

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わたしは料理することは本当に好きだし、自他ともに美味しいと思って食べているので料理研究家でもあります。

音楽もずっとやってきているので音楽研究家でもあるし、子どもの頃から地球の疑問研究家でもあります。最近は人間以外の存在との繋がり研究家のところもあります。

探したらもっと出てくるかもしれません。なんなら、全部「研究家見習い」かもしれません。
でもそうやってじぶんが持っているいろいろな点を繋ぎ合わせていくと、「わたしだけにできる研究」が発表できる訳だな、となんだか腑に落ちました。このブログもその一環です。研究は何も特別な場所で特別なことをする事だけではありません。日々の中で細部にアンテナを立てて気づくことで広がるものなんだと思います。大切なのは真摯にその出来事とじぶんが向き合い続けることなんだなと改めておもった朝でした。