膨らむひとりごと

日々の散文

意味のあること

意味のあることばかりを選びたくない

と最近よく思う。

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元々そんなにメリットデメリットが考えられるほど頭で行動してないけど笑

 

 

意味のあることを選びたくないのには

「それが意味のあることだ」と考える世界の中で過ごすことが好きじゃないからだ。

もっというと「意味のあること」「ないこと」は今の地球の中でのことでしかない。

 

地球の中の日本の中の2021年の枠の中での「意味」は正直無意味だと思う。

ただ社会の中で生活するにはとても「意味のあること」が多いのだと思う。

 

というか「意味のあること」として意味づけしているだけなのだと思う。

常々思うが物事には全部(仮)がついてるよなあ・・・

 

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「為になること」も「学びになること」も「情報」も

それを得たことで社会では生きやすくなるし、自己成長には繋がるし

何か成そうとすることや何かで在ろうとするのには絶え間なく必要なのだろう。

 

…だろう、というか事実必要なのだ。社会の人間としては。

 

でも社会の人間とはそもそもヘンナモノなのだ。

最初から最後までわたしにはよく理解できないで人生は終わりそう。

 

こどもの頃から思うのだが、こうした一見(というか世間的に)とてもプラスな物事でも

本当にじゃあそれが一体何なんだろうか?とずっと疑問。永遠に疑問。

そしてこれに直接応えてくれた人は人生で未だに2人、またとんでもなく不思議な世界の人ね。

 

 

善悪や現実的な価値観を持ち出してもこの話の中には入っていけないのだ

 

だって善悪でも価値観でもなく

意味をつける意味すら機能しない

わたしですら何かの意味の是非もつけられないし、わからないのだ。

 

そしてこのわからなくて漂っている感じがすき

 

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その漂いは木や海や草や水や自然のものの中に入るとよく感じ取れる

ヒト以外の生き物に触れたりするときにも

それ以外の何かわからない存在にも

 

そうやってわたしはわたしの世界の境界線を行ったり来たりしているだけなのだ

こちら側に一歩行けば意味のあることが意味のあることではなくなる

その瞬間を掴める時間や空間がすき

 

それをあえて社会のわたしから見るなら「人類学」や「生態学」や「音楽」なだけだろうと思う。

成長や成功や価値として意味のあるものがどんどん意味を帯びるとき

世界はどんどん無に吸収されていくのだ。

 

ただ意味のないことを意味がなくしたい。

 

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